キラキラした駐妻なんて妄想。

夫の仕事の都合で渡米して、現在4年目。生活の愚痴日記によって駐妻は全然キラキラしていない事を主張しながら、後は愚痴ばかりでなく少し役にたつ情報も載せていこうと思っています。

信じられない事をしている人がいるとびっくり。極夜行

少し前になるが、極地旅行家で作家である角幡さんの極夜行を読んだ。

極地旅行家って何とまずつっこみたくなる。

要はほとんどの人が行きたがらない辺鄙な場所を旅行しているという事だ。

凡人の私がもし同じことをしたとしたら、間違いなく死ぬだろうというような

旅行というか冒険というかそういう事をされている。

 

今まで角幡さんの事を知らなかったのだが、日経テレ東大学を見て

何て変わった人がいるんだ!と興味がわき、すぐに本を購入して読んだ。

 

極夜というのは地球のはしっこである北極圏や南極圏でおこるらしく

太陽が数か月のぼらず、ずっと暗い日が続くことをいうらしい。

角幡さんはわざわざたくさんの時間と大金をかけて極夜を目指し

死の隣り合わせの冒険をしたのだ。

正直、太陽がのぼらない所なんて、最も行きたくない場所である。

角幡さんの思いは本の中にたくさん詰め込まれているので

本を読めばそういう考え方をする人もいるのかとは感じるが

正直、共感できるかといわれたら全くできませんと言わざる負えない。

ただ、あまりに自分からした信じられない事をされている人の冒険記なので

意見を持つというより、違いすぎて、そうなんだ~と素直に受け入れられた。

 

一番の感想は、奥さんもお子さんもいらっしゃるようなので

生きて帰ってきてくれてよかったという事だ。

本が出版されている時点で、というかそもそもYouTubeを見て

角幡さんを知ったのだし、生きている事はわかっているのだが

本を読んでいると、なぜ生きて帰ってこれたか疑問というくらいに

壮絶すぎる旅行というか冒険なのだ。

 

私も昔の自分を思い返してみると、随分とクレイジーだったなと

思ったりすることもあるのだが・・・

もう角幡さんのクレイジーさは尊敬に値するレベルだ。

他の本もぜひ読んでみたいと思う。

 

 

バランスよく・・・が難しい

年末頃から夫と色々な資金計画について話し合っている。

色々な本を読んでみたり、YouTubeをたくさん見たりで

情報過多でどうすればいいのかよくわからないという状態に

陥っている。何が正解なんだかよくわからない。

 

アメリカ株は最近なぜかイケイケな感じなのだが

個人的には下げた分のただの反発で、また大きく下がると思っている。

まぁ基本的に皆がそのように感じているのかもしれないが。

どの位までイケイケで上がって、どこからガクンと下がるのか。

来週にまたインフレ率の発表があるので、そこがまたターニングポイントと

なるのかなと思うので、今は様子を見ているという状態だ。

 

話は少し変わるのだが、色々な本を読んで感じたのが

アメリカまたは他の国でもよいのだがのお金についての本では

意外と貯金をすすめるような内容が多い。

なぜ、投資と違い、増えない貯金が必要なのかということを

説明しているような感じだ。貯金大国日本から来た私としては

まぁそうだよねと別にわざわざ本に書くほどの事でもないんじゃと

感じてしまう事もあるが、日本が少数派だという事だろう。

日本だと、考え方としては貯金から投資へというのが主流だと思うし

お金に関する本もそういった事を書いている事が多い気がする。

まぁ要はバランスよく投資、貯金しましょうという事なのだろう。

まだ話し合いの結論は出ていないのだが、どうするのが私達にとって

バランスのよい状態なのかを考えていこうと思う。

走った分だけ、募金する事にした

私は心身の健康を保つために、朝ランニングをするということを日課としている。

走った分だけ募金できるというアプリがあったのでダウンロードして試してみた。

Charity Milesというアプリで、複数の企業がスポンサーになっていて

ランニングの場合は1マイル走ると25セント、その企業が私の選んだ団体に

寄付してくれるというものだ。企業は広告を流すことで収入を得るとあったが

企業イメージとかそういのもあがるだろうから、色々利益はあるのかなと思う。

とりあえず、アプリを使って運動した人は運動しただけ寄付できていいし

企業も広告収入やら諸々でいい、WinWinという感じらしい。

アプリのレヴューではコンセプトは素晴らしいがアプリが動作しなかったり

なんだか色々と全然いけてない!みたいなコメントが多くあり

どうなのかなぁと半信半疑で試したが、とりあえず1日目は無事に動作した。

4マイル程走ったので、1ドル、Save the Childrenに寄付されることになる。

ちなみに寄付する団体はたくさんあって好きな所を選べるようになっている。

 

このアプリでは、私がやることはただ走るだけで、私が寄付している訳ではないので

個人的にもとりあえずは同じ額を毎月どこかに寄付していこうと思っている。

年齢的なものなのか、アメリカに住んで価値観が変わってきたのか

理由はよくわからないが、最近もう少し人の役にたたないとダメだと感じていた。

ランニングで走った分だけ、寄付するのはいいアイデアだ!と思ったので

もう2月になってしまったが、今年からスタートしようと思う。

私が寄付できる額はたいした金額ではないが、少しは役にたてば嬉しい。

と共に、私の人の役にたちたいという気持ちも少し満たされる。

これもWinWinの関係になる。

とりあえず今月はこの間YouTubeでみて、素晴らしい活動だと感銘をうけた

NPO法人エクマットラに寄付しようと思っている。

1月に読んだ本

自分のための備忘録として読んだ本を記録しています。

 

1月に読んだ本

田内学さんの「お金のむこうに人がいる」

大村大次郎さんの「お金の流れで探る 現代権力史」

モーガン・ハウセルさんの「サイコロジー・オブ・マネー」

 

今月はお金の本ばっかり読んでいたようだ。

1月は夫と今後の人生のざっくりとした資金計画を話し合っていたので

それを考えるにあたり、お金の本を読んでいた。

サイコロジー・オブ・マネーは資金計画を考える上で大変役にたった。

お金のむこうに人がいるはありきたりなお金関係の本ではなく

面白い内容だった。理解できなかった部分も多かったのでもう一度読み直したい。

お金の流れで探る 現代権力史も面白い本だった。

どの国もやりたい放題だし、したたかだよなと思った。

 

アメリカの誕生日会は、私がイメージする誕生日会とは違った

渡米して4年近くたつので、もう慣れてしまったが

アメリカの誕生日会のスケールに渡米当初は大変驚いた。

 

私の誕生日会のイメージは、〇〇ちゃんおめでとうと書いた

チョコレートのプレートが載った誕生日ケーキを家族や数人の友人と

一緒に食べ、ハッピーバースデーの歌をうたってもらい

写真をとって、あとは誕生日プレゼントを渡したりというようなものだった。

 

が、しかし、アメリカ(場所によって大きく違うとは思います)では

会場を貸切り、20人前後の友達を呼び、盛大にお祝いする。

すごい人は50人とか呼んでいたりもする。

もちろん家で誕生日会をする人もいるのだが、遊園地にあるような

子供が中に入ってジャンプできるような巨大なアトラクションを

レンタルして家の庭に準備していたり、中でみんなでゲームができるようなトラックを

家によんだりと「家で誕生日会」という言葉のイメージとはかけ離れている。

子供はたくさんの友達に祝ってもらい、さらにたくさんのプレゼントを

もらえるので、とても幸せそうだが、親としては複雑ではある。

 

バースデーパーティーというのは完全にビジネス化しているので

例えば屋内遊園地のようなところで行うとすると

子供20人まで、遊園地で遊べる時間1時間半

その後ピザ、ケーキを食べる時間30分、スタッフ2名

全てで800ドルとかというように(子供1人増えるごとに30ドル)

パッケージ化されている。習い事などができる場所ではほとんど

この誕生日会プランなるものが用意されているような気がする。

このパッケージ費用の他にグッディバッグと呼ばれるお返しプレゼントを

参加してくれた子に渡さなくてはならず、それも買う必要がある。

また誕生日会にはバルーンがつきもののようなので

大量のバルーンを購入(けっこう高い)する必要もある。

かなりの費用がかかるので、もちろん全ての子がこういった誕生日会を

できる訳ではないのだが、低学年のうちは誕生日会にはクラス全員を呼ぶという

暗黙のルールがあり、皆が誕生日会には何度も呼ばれるので

こういった誕生日会の存在は嫌でも知る事となる。

参加するか否かはもちろん自由だが、子供同士で話したりもするだろうし

ずっと知らずに育つということはなかなか難しい気がする。

誕生日会はアメリカって本当に資本主義大国だよなと実感する

イベントのひとつである。

アメリカで夫が手術② ひたすら激痛に耐える夫

アメリカで夫が手術①の続きです。

 

顔面蒼白でさらに激痛に耐える夫を、看護師さん二人がかりで

無理やり、車におしこんでもらった後・・・。

私は一日病院で待っていたため疲労困憊で

さらに慣れない事ばかりで気持ちも動揺していたが

帰り道に事故を起こしたら、それこそ終わりだと

いつも以上に慎重に注意深い運転を心掛け、なんとか家まで辿り着いた。

夫は少しでも動くと激痛らしく・・・

車から家までの入るのが最大の難関だったが

想像をはるかに超えるゆっくりした動きでなんとかクリアした。

その後、私は薬局に処方された薬をとりに行ったのだが

悪名高きオピオイド系の鎮痛剤だったので、夫は中毒になるのを恐れ

タイレノールで激痛に耐えるという無謀なチャレンジをすることに決め

ひたすら激痛に耐えていた。

数日間は本当に痛みが激しかったようで、常にジンジンと脈を打つような

激痛があったようだが、夫はかたくなにタイレノールで耐えていた。

 

数日間は夫は全く動けなかったので、手を伸ばせばとれるような

スマホもいちいちとってあげないといけないというような

本当に全ての事をやってあげないといけない状態でけっこう大変だった。

介護ってこういう感じなんだなと実感した。夫の場合は先が見えてるが

先が見えない介護だと、看護している側が精神的におかしくなるのも

当然だなと感じだ。一人で介護をするのは本当につらい事だと思う。

 

夫は数日間の激痛時期を経て、1週間後くらいには膝の痛みはかなりましに

なってきたようだった。が、膝の痛みがましになった頃にぎっくり腰に

なってしまった。身体を動かすことができないため、もともと腰の弱い夫は

ちょっと動いただけでぎっくり腰になってしまったのだ。

膝の痛みの後はぎっくり腰の痛みに耐えていて、今思うとかわいそうなのだが

その時の私は非常に疲れていたので、ぎっくり腰になるんなんて・・・

とかわいそうと思う以上に、いい加減にしてくれよと思ってしまった。

腰をあっためてあげたり、ほぐしてあげたり、なんだか違う介護も

加わる事になってしまったのだ。この時期は私のストレスもマックスで

夫も子供もどうでもいい事で私に文句を言われまくっていた。

 

そして、またしばらくした後、夫のリハビリが始まり、だんだんと良くなってきた。

松葉杖で上手に歩けるようになり、その後松葉杖なしで歩けるようになった。

ここまでで、だいたい1か月半ちかくかかった。

 

こうやって書いてみるとたいしたことない気もするのだが

とても大変な1か月半だった。まだ終わっていないのだが

とりあえず、おつかれ私という感じだ。

 

アメリカで夫が手術、予想を超えた大変さでした。①

年末年始はとてもバタバタしていた。

というのも、夫が12月に膝の手術をしたため、激痛で動くことができず

看病をしなくてはいけなかったのと、今まで夫がやっていてくれた事も

全て一人でやらなくてはいけなくなってしまったのでとても大変だった。

今は夫もだいぶ良くなり、先が見えてきたので私の気持ちにも

余裕が出てきたが、とにかく少し前は大変すぎて余裕ゼロどころか

常にマイナスのような感じで、子供達もどうでもいい事で私に怒られていた。

申し訳ないが、器の小さい母親を持ってしまったと思い、大目にみてもらいたい。

 

アメリカでの手術は予想以上に大変だった。

まず、夫は膝とはいえ、半月板縫合手術だったため、全身麻酔

手術時間もけっこう長かった。術後も激痛で全く動けないような状態だった。

朝、病院に到着したのに、病院を出たのは夕方。

そう、全身麻酔だが、日帰りなのだ。しかもそんな大変な状態の夫を自分の車で

家へ連れて帰らなくてはいけなかった。

術後の夫は顔面蒼白な上、激痛だと訴えていた。私は不安しかなかった。

さらに夫とゆっくり話す間もなく、看護師さんから家での注意点やら

薬の事やら、今後のリハビリプランやら色々と説明された。

通訳とかはおらず、全て英語なので、医療用語的なところだったり

薬の名前などがさっぱりわからず、かなり聞き逃したと思う。

途中から看護師さんも私のダメ英語ぶりに気がついたらしく

とにかく膝につけるサポーター(器具がたくさんついた大掛かりなもの)

を絶対にはずさないで、そして勝手にいじったりしないでと

本当に絶対守らなくてはいけないという事を簡潔に説明してくれた。

できる看護師さんにあたって良かった。

私が理解できた部分だけでも、想像を超える大変さで、さらに夫の顔が

真っ白で、激痛で動けないと言っていたので、ダメ元で

「私の車すごく小さいから、膝曲げずに乗れるかなぁ」と言ってみたところ

私達がのせてあげるから大丈夫!!と言われた。

ダメ元で言ってみたけど良かった!という結果にはならず

それ以上、駄々を捏ねる訳にもいかず、しぶしぶ現実を受け入れる事にした。

あと30分で帰れるから、車を術後患者用の駐車場に停めて待っててと言われ

その時間に車をそこに移動させて待っていたら、夫からラインがきた。

痛みが強すぎるから鎮痛剤を追加したので、あと30分かかる、と。

30分と言わず、一泊か二泊されてくれませんか?と思ったが

そんな事言ったって、誰にも聞き入れてもらえないことはわかっているので

大人の私はおとなしく30分待った。

40分後くらいに夫が車椅子で現れ、看護師さん二人がかりで

車の後部座席に夫を乗せてくれ、そして笑顔でバーイと去っていった。

この時点で私は既に大変疲れていたが、これからさらに大変な日々となる。

長くなりすぎるので、何回かにわけて書いていこうと思う。

 

アメリカで膝の手術を控えている方の参考になればと思います。

あんまり、たくさんいないような気がしますが・・・。